書を捨てよ町にでよう
Leica MP + NOCTILUX-M 50mm f0.95 (4th generation)
マニュアルにはおのずと限界があることは前からわかっていたこと。
どんなに露出やシャッタースピード、フィルターワークやレタッチのマニュアル本を読んでもいい写真が撮れるわけじゃない。こういたものは知識として知っておいた方がいいのは当然ながら、実は心に響くいい写真にどんどん触れる方が実戦には役に立つ。
先日、ビジネスでもそれを実感。とある会社のかなりクセのある社長さんと短い時間ながら接する機会があって、とんでもない衝撃を受けた。反応や発想が想定外のものばかり(いい悪いは別にして)。
いろいろ知りたくなってその人の書いたビジネス本を読んでみたのだけど・・・そこには衝撃も毒気もなにも感じなかった。確かに間違ったことは書いていないし面白くないわけではないのだけど、「まあ、そうだよな」と思うものしか伝わってこない。会った後、帰り道で
あの時こう反応したのは実はこういう意味があるんじゃないだろうか
あの発言の真意は実は逆じゃないんだろうか
こんな発想をするのは原体験にどんなことがあったのだろうか
確認はできないけど自分なりにいろいろ考えた時間の方がよっぽど刺激的だった。こういったことは文字やロジックにしてしまうと単なるマニュアルになってしまうんだろうな。
さ、町に出るとするか
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コメント
あら、ちょうど1週間前のあたいの表題とかぶったわ。
この世代は避けて通れないのかなー。
あんますきじゃないんだけどね(爆
投稿: takanasi | 2009/08/29 00:22
おはようございます。
これは、ある意味、その前のエントリーの
「無心に磨く」に通じることですね。
頭でっかちの知識よりも、(失敗しながらも)
自ら体験して得たことは、後々になっても
忘れないですし。
お言葉に触発されて、僕も街に出なくては♪
投稿: boriko | 2009/08/29 08:41
雑誌のインタビューで、どうすれば写真が上達するかと尋ねられた森山大道が「寝る間も惜しんで撮れ。ひたすら枚数をこなせ」と言っていたのを思い出します。
ここ半年ほど、フィルムで散歩写真を撮る暇が「まったく」ないことを嘆いていたんですが、その間撮り続けていた1万カットを超えるブツ撮りが、実はと血肉になっていたことが、先日久しぶりに行った撮影会で判明。意外な発見でした。
地味なLSDトレーニングが実を結ぶヒルクライマーみたいで、思わず苦笑い。
投稿: エンゾー | 2009/08/29 11:32
>takanasiさん
お、そのようですね。
今回のタイトルは最後まで「マニュアルの限界」だったですが、最後の一文で書き換えたのであまり意識していませんでした。我々の世代はどうしてもかすってしまいますね>寺山修司
>borikoさん
何事も文字や言葉にすると感じることの何分の一も通じないということでしょう。書の中から感じること大事ではありますけどね。
>エンゾーさん
森山氏の言葉は有名ですが、お手軽に枚数を増やしても薄まるような気がします。あくまで真剣に枚数を撮ってナンボでしょう。僕の場合デジタルで撮るとどうも自分に甘えがでるようです。
投稿: Shig | 2009/08/29 21:32