視点の違い
以前、外国の人と街を回る機会がありました。作品を撮るほどは写真へのこだわりはなかったみたいですが、一般的な観光スポット以外にもいろいろとシャッターを切っていました。どんな被写体に惹かれるのか見ていたのですが、 日本を見慣れた日本人と違ってとんでもないものに興味を持つんですよね。床屋さんのくるくる 回るサインとか天丼屋さんの写真付きのメニューとかパチンコ屋さんとか学生服とか・・・。 たしかブレッソンの写真にも学生服ってありましたよね。
多分私たちが海外に行って「フォトジェニックなもので一杯!」となる同じ感覚が外国の人でも 日本で感じているようです。そういった視点で歩きなれた街も見てみるとまた新しい発見があるのかもしれません。以前写真研究会なる場で「あたかも外国の人がとった神社の写真」という評価を された神社の写真があったのですが、「そういった表現ってあるかも」と妙に感心したものです。
先入観を捨て去ってモノや景色を見直す・・・煮詰まった時は外国の人の視点になりきるっていうのもありかもしれません。
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コメント
Shigさん、こんばんは。
今日の記事は凄く納得しました。
私の住む街は、住宅街ということもあって”被写体に乏しい”と常々思っておりスナップを撮るにも30km程離れた街へわざわざ出かけています。
でもShigさんが書かれているように外国人の視線で見れば地元でもいい被写体を見つけられることが出来るような気がしました。
あるカメラマンが、「被写体が無いと嘆くのではなく、見つけられない己を恥じれ」となんかの雑誌にかいてありましたが、今の私は正にそれかもしれません。
今日は勉強させて頂きました。
投稿: a_hase3298 | 2005/02/15 00:14
こんにちは、秀丞です。リンクのお礼が遅れてすみません。どうもありがとうございました。
外国人の視点といえば、幕末か明治初期? の江戸城周辺の写真を見た時、「なんか妙だな」 と思ったら、実は外国人カメラマンが撮影した一枚だった、という経験をしたことがあります。日本人が撮影したものとどこがどう違うのかは全然わからないのですが……
投稿: 秀丞 | 2005/02/15 08:35
外国人と写真を撮って歩く経験って、なかなかできませんよね。私も「外国の人の視点」とまではいきませんが、散歩写真を撮るときは「旅人になりきる」ようにしています。旅人のつもりで歩くといつもの町がしらない町へと変わって見えるんですね。さらに知らない町のつもりで、いつもは入らない路地へとわざと間違えて入って迷ってみたりすると、新しい発見があったりして幾分調子が出てきたりします。
あと、ちょっと話はずれますが、はじめて本州に住んだときはそれこそ全てが新鮮でした。瓦屋根の家ひとつひとつが屋敷や城、あるいは寺に見えたものです。北海道には瓦屋根の家なんて皆無ですからね(^^;)。それだけで気分がのってフィルムの消費量が増えました(一般の人から見たら普通の写真だったりして)。
またきます〜。
投稿: omote | 2005/02/15 20:11
a_haseさん
こんばんは。私は京都に住んでいながら「海外に行きたい」と言っている軟弱者です(笑)ロケーションには本当に恵まれているんですよね。京都はもちろん「滋賀(琵琶湖)」「奈良」「大阪」「神戸」と1時間程度で行けてしまうのですから・・・。でも最近はカメラを持って近所を散歩することも覚えてきました。いつもとちょっと違った道を歩いていると足元に素敵なモチーフがあるかもしれません。そんな出会いがあると本当に嬉しいですよね。
秀丞さん
いらっしゃいませ。当時の外国の人から見ると日本はたいそうフォトジェニックだったでしょうね。私の夢に「昔の写真を撮りたい」というものがあります。幕末とまでいかなくてもせめて昭和初期あたりとか・・。江戸時代とかだったらそれこそ外国の人の視点になれそうですね。(カラーリバーサルで撮った江戸時代のスナップ写真・・・・ううう、どきどきします)
Omoteさん
どうも、おこしやすです。Omoteさんの「ほっつきながら」にもリンク貼らせていただきました。(事後報告ですみません)路地といえばある人がこんなことを言っていました。「その路地に最初に来た時は、物怖じせずにどんどん中に入っていったけど、二度目に来た時はかえって狭い路地に踏み込めなかった・・・」なんとなくわかるような気がします。初めての時は勢いでできたことも冷静になると躊躇する・・。人生にもそんなことがあるような・・。
投稿: Shig | 2005/02/15 22:20
あら?
私のブラウザのBookmarksに登録していり秀丞写文庫の秀丞さんもお客様なんですね(笑)
世間(Net)は狭いですね。
投稿: a_hase3298 | 2005/02/15 23:20